「メジャー落ち」という言葉をご存知でしょうか。
メジャーデビューしたはいいものの、人気が思ったように出ず、レコード会社との契約を打ち切られ、インディーズに戻って来ることを俗に「メジャー落ち」と呼びます。
「メジャーから落ちてしまったアーティスト」という意味です。
実際、一度メジャー落ちしてしまうと、もう一度メジャーデビューするのはとても難しいと言われています。
それでも、メジャー落ちという困難を乗り越えて、地の底から這い上がり日の目を見たアーティスト達も実は意外といます。
今回の記事はそんなメジャー落ちを経験しながらも、もう一度メジャーに返り咲いた5組のアーティストを紹介していきたいと思います。
1996年、フォーライフ・レコードよりメジャーデビューするものの、シングル7枚、アルバム3枚をリリースし契約終了。
32歳にしてメジャー落ちをしてしまった彼は、大阪の野音でワンマンライブをすることを目標に掲げ、インディーズで活動を展開します。
自主レーベルよりアルバムを精力的にリリースし、その中で「ボーイズ・オン・ザ・ラン」という楽曲がラジオで反響を呼びます。
音楽ユニット、コブクロが自身のアルバムでこの曲をカバーしたことで一気に知名度を広げます。
そして2005年、「BOYS ON THE RUN4SONGS」で再びメジャーデビューを果たします。
その翌年、「30代の男性達へ」というテーマのもとに制作した楽曲「人生という名の列車」がロングヒットを記録。
そして、2007年かねてからずっと目標にしてきた大阪城野外音楽堂のワンマンライブを実現させます。
同年、大晦日にはNHK紅白歌合戦にも出場。
「不屈のシンガー」として不動の地位を確立させました。
代表曲「スタートライン〜新しい風〜」
「諦めなければ夢は叶う」と地道な活動を続け、メジャー落ちから紅白の舞台にまで登りつめた馬場俊英。
彼の歌は、言葉の一つ一つの説得力が凄いです。それは間違いなく実際に数多くの困難を彼が乗り越えて来たからでしょう。
人生に行き詰まった時、もう立ち上がれないという位に凹んでしまった時、是非一度、馬場俊英の歌を聴いてみて下さい。
きっとあなたの心に優しくも強い追い風が吹くでしょう。
フォークユニット野狐禅でオフィス・オーガスタに所属。
スピードスターレコードより2003年にメジャーデビュー。
その音楽性は笑福亭鶴瓶や松本人志といった多くの著名人に高く評価されるものの、2007年には事務所から独立、レコード会社との契約も終了してしまいます。
2009年には野狐禅を解散。
竹原はソロとして弾き語りで全国のライブハウスや歌えるお店のドサ周りを始めます。
年間250本から300本という数のライブを一人でブッキングし、歌い続けることで着実にその知名度を広げていきます。
20011年には松本人志が監督を務める映画「さや侍」に出演。
その主題歌も担当したことで、更にその知名度を広げます。
2014年、メジャー落ちから7年後、再びオフィス・オーガスタに所属しスピードスターレコードから再びメジャーデビュー、2017年にはNHk紅白歌合戦にも出場を果たします。
「よー、そこの若いの」
紅白でも歌唱したこの曲はCMなどでも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
竹原ピストルの曲はフォーキーで言葉数が多く、散弾銃のように次から次へと言葉の弾丸を放り込んできます。
そして、その言葉には嘘がなく、とても人間臭い。
音源も良いですが、竹原ピストルの音楽を存分に味わうにはやはりライブでしょう。
ぜひ一度、彼の歌を生で浴びてみて欲しいです。
愛知県名古屋にて結成されたロックバンド、フラワーカンパニーズ。
1995年、アンティノスレコードよりメジャーデビュー。
2001年にはアンティノスレコードを離れインディーズで活動を開始。
メンバー自ら機材車に乗り込み、年間で100本を超えるライブ活動を展開します。
2004年にはインディーズでリリースした「深夜高速」が話題となり、2009年にはこの曲1曲のみを13組のアーティストがカバーしたトリビュートアルバム「深夜高速-生きててよかったの集い-」が発売され、このアルバムをきっかけに更に注目されるようになります。
2008年にはソニーミュージックアソシエイテッドレコーズより再びメジャーデビュー。
そして2015年には結成26年目にして日本武道館での単独公演を成功させます。
「東京タワー」
フラワーカンパニーズの歌は泥臭くて、とてもあたたかい。
メジャー落ちを経験し、そこからヒットチャートに名前が並ぶようなこともなく、それでもひたむきに走り続けた彼らの音楽は聴く者の心を打ちます。
彼らは今もなおライブハウスで確実に根強いファンを増やしていっています。
2001年「なおと」名義でソニーミュージックレコーズからメジャーデビュー。
しかしながら、セールスは芳しくなく3枚のシングルと1枚のアルバムをリリースして契約終了となります。
その後、28カ国を515日かけて世界位一周の旅に出ます。
デビューしたものの上手くいかなかったのは自分に力がなかったからだと感じ、人間的なパワーアップと世界中の音楽を感じること、ワールドツアーをするための語学を学ぶという3つの目標を掲げて旅をします。
帰国後、ナオト・インティライミとしての活動をスタート。
偶然、草サッカーでMr.Childrenの桜井和寿に出会い、CDを渡します。
こんなに才能のある人がどうして埋もれているんだと感じた桜井は、Mr.Childrenのツアーのバックコーラスに彼を抜擢します。
2008年〜2009年ミスチルのツアーにサポートメンバーとして同行したこともあり、一気に注目を集めます。
2010年、ユニバーサルシグマから再びメジャーデビューを果たします。
「タカラモノ〜この声がなくなるまで〜」、「今のキミを忘れない」で100万ダウンロードを超えるヒットを記録。
世界中を旅したことで手に入れたあらゆるジャンルの音楽と、Mr.Childrenのサポートの経験から得たポップミュージックを融合させ、唯一無二の音楽を築き上げました。
「太陽の祭り」を意味する「インティライミ」の言葉通り、彼のステージは祭りのように聴くも者の気持ちを高揚させ、心を元気にしてくれます。
4人組ロックバンド。
TEENS’ MUSIC FESTIVAL 2005にてオーディエンス賞を受賞。
翌年にはグランプリ、オーディエンス賞を受賞。
2009年1stシングル「深呼吸」でメジャーデビュー。
表題曲「深呼吸」がアニメ「NARUTO-疾風編-」のEDに抜擢されます。
若くして順調なスタートを切ったかのように見えましたが、周りの大人に翻弄され、僅か3年でメジャーを離れてしまいます。
2012年、自主レーベルを立ち上げインディーズでの活動を開始。
アルバイトを始めてお金を貯め、更に借金をして中古のワゴン車を買い、全国のライブ会場を地道に周り続けます。
渋谷O-Crest、赤坂BLITZ、Zepp Diver City、と着実にステップアップし、ワンマンを成功させていきます。
2018年にはエレファントカシマシのトリビュートアルバムに参加。
同年には初の日本武道館の単独公演を成功させました。
そしてついに2020年、ソニーミュージックレコーズより10年越しの再メジャーデビューを果たしました。
「らしさ」
SUPER BEAVERのソングライター、Gt柳沢が書く歌詞は、ハッとさせられるものが多い。
難解な言い回しや、ややこしい比喩は使わずに、それでいて確かに人の心に響く言葉を紡いでいる。
そして彼らの歌はとても力強く、優しい。
彼らが経験してきた挫折や苦悩の全てを受けとめて、嘘偽りなく音楽に浄化して表現しをているバンドなんだと感じます。
いかがでしたでしょうか。
今回、メジャー落ちから再メジャーデビューを果たしたアーティストの特集をしたのには理由があります。
それは、メジャー落ちから這い上がっていく姿はそこに既にドラマがあり、人を惹きつけるものがあるからです。
挫折をバネにして頑張っている姿を見ると、人は応援したくなりますし。
音楽は勿論ですが、彼らの生き様もまた勇気をくれるのです。
そして、そんな苦難を味わったアーティストが放つ言葉は重みと深みがあります。
彼らのストーリーを知った上で曲を聴くと、より届くものがあると思います。
気になったアーティストがいたら是非チェックしてみて下さいね。
ライター:kato
2020年よりフリーライターとして活動。 @kato1155ka
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