若くして亡くなった日本の天才音楽家たち[記事公開日]2021年5月25日
[最終更新日]2021年06月18日
[ライター]kato

日本には才能溢れるミュージシャンが沢山います。

しかし、そんな中には若くしてその生涯を終えてしまった、本当に惜しい方も沢山います。

若くして亡くなってしまった日本の天才ミュージシャンたちにスポットを当てて書いていきたいと思います。

①尾崎豊

一人目はこの人、尾崎豊。

言わずと知れた日本を代表するシンガーソングライターです。

「I LOVE YOU」「卒業」「15の夜」など数々のヒット曲を生み出し、若者から絶大な支持を獲得しました。

その存在は「10代の教祖」とまで呼ばれるものでした。

 

18歳でデビューし、一世を風靡した尾崎は20代に入り活動の方向性を見失い活動を休止します。

その後、活動を再開するも覚醒剤取締法違反で逮捕されるなど、精神的にはどんどん追い詰められていきます。

 

そして26歳という若さで突然死。

死因は大量の覚醒剤服用による肺水腫と言われています。

尾崎の死因については他殺説など様々な憶測が飛び交いましたが、尾崎が肌身離さず持ち歩いていたセカンドバッグからから遺書が見つかっています。

尾崎豊が亡くなって2年後にリリースされたシングル「OH MY LITTLE GIRL」は皮肉なことに自身初のオリコンチャート1位を獲得し、初のミリオンセラーを記録しました。

代表曲「卒業」

時代を越えた名曲です。

このライブ映像も声がガラガラで全然声は出ていませんが、テクニックではなく、尾崎豊は人に伝わる歌を歌える歌手だと思います。

②hide(X JAPAN)

二人目は日本を代表するビジュアル系ロックバンド、X JAPANのギタリストhide。

その人気は圧倒的かつカリスマ的。

「ビジュアル系」という言葉の生みの親はhideだと言われています。

 

1998年、自宅マンション寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見されました。32歳という早すぎる死でした。

当時、hideの死因は自殺だと警察は発表しましたが、事故死だったという説も浮上しています。

hideは辛い肩こりに悩まされていたようで、その肩こり解消のために行っていた方法が、顎にタオルをかけ上方へ牽引する施術するという方法でした。

酒に酔ったhideがその日もその施術を行い、誤ってそのまま眠ってしまいタオルが首にかかって亡くなってしまったのではないかとも言われています。

 

当時、hideの後追い自殺を行ったファンも60人に近くいたそうです。

彼の死はそれほど日本中を驚かせました。

今でもhideの命日にはお墓参りに訪れるファンが跡を断ちません。

あまりにも多くの人がお墓参りに訪れるため、hideの公式ツイッターでは昨今のコロナウィルスの状況を踏まえて、お墓参り自粛を呼び掛けるツイートがなされた程です。

「ROCKET DIVE」hide with Spread Beaver

X JAPAN解散後にソロ名義でリリースしたシングル。

ギタリストに留まらずソングライター、ボーカリストとしても類稀な才能を発揮していました。

③志村正彦(フジファブリック)

4人組ロックバンド、フジファブリックのギターボーカル志村正彦。

フジファブリックの楽曲の殆どの作詞作曲を手掛けており、繊細でノスタルジックなその詩の世界観は唯一無二のものでした。

2009年の12月24日、29歳という若さで突然この世を去ってしまいます。

死因は不詳とされており、今もなお詳しい死因は公開されていません。

 

代表曲の「若者のすべて」は桜井和寿率いるBank Bandや槇原敬之など数多くのアーティストにカバーされ、志村正彦の遺した楽曲は今もなお沢山の人に愛され続けています。

そして、驚くことにボーカルの志村が亡くなった後も、フジファブリックは3人体制となり、ギターの山内総一郎が二代目のボーカルとして活動を続けています。

フジファブリックは新体制になってからも、素晴らしい作品を生み出し続けており、きっと志村が亡くなった後でフジファブリックのファンになったという方も今では決して少なくないのでしょう。

それでもやはり、志村率いる初期のフジファブリックの楽曲に触れた時、志村正彦という存在の大きさを感じずにはいられないはずです。

 

彼が生きていたら、今年で40歳。

一体どんな歌を作り続けていたのだろうかと思わずにはいられません。

「若者のすべて」フジファブリック

 

夏になると無性にこの曲が聴きたくなります。

切なさ、儚さ、脆さが凝縮されているかのようで、歌詞の言葉の意味以上に聴くものの胸に迫るものがあります。

これから先もずっと、志村正彦の残した曲たちは後世に歌い継がれていくのでしょう。

④アベフトシ(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)

3人目は日本を代表するギタリスト、アベフトシ。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのギターとして1990年代に活躍し、絶大な人気を誇りました。

ロック好きでミッシェルを知らない人はいないでしょう。

 

ライブではエフェクターを一切使わず、アンプに直差しのスタイル、そして涼しい顔をしながら繰り出させる彼のマシンガンカッティングは観るものを魅力しました。

そのカッティングの技術は布袋寅泰にも賞賛される程のものです。

 

急性硬膜外血腫の為、42歳という若さで他界してしまいます。

急性硬膜外血腫の殆どが頭部外傷によるものだと言われていて、その為、生前、彼が没頭していた趣味の自転車による事故だったのではないかと噂されていますが、本当のところは謎に包まれたままです。

ギタリストが憧れるギタリスト、アベフトシ。もう一度あのマシンガンカッティングを観たいと願う人は数多いと思います。

「世界の終わり」THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

 

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの代表曲。この曲を必死にコピーしたギター小僧も多いと思います。

アベフトシはロックに魅入られたギター小僧の永遠の憧れでしょう。これからもずっと。

⑤不可思議/wonderboy

最後に紹介したいのは、天才ポエトリーラッパー、不可思議/wonderboy。

生々しくも独特のセンス溢れるその言葉から繰り出されるリリックは聴くものの心を揺さぶります。

2011年には詩人、谷川俊太郎と共演し本人の許可の下、「生きる」を音源化しています。

少しずつ知名度を伸ばし、正にこれからという時に、不慮の事故でこの世を去ってしまいます。23歳という早すぎる死でした。

しかし、彼の死後、「不可思議/wonderboy」の名前は忘れ去られるどころか、インターネット上で通じて広がり続けています。

急逝から3年、不可思議/wonderboyのドキュメンタリー映画も公開されました。

この映画公開を記念の特設サイトには、尾崎世界観(クリープハイプ)、秋田ひろむ(amazarashi)、コムアイ(水曜日のカンパネラ)など著名なミュージシャンからのコメントも寄せられている。

 

「生」を強く目の前に叩きつけられるかのような彼の音楽は、正に死んだ後もずっと生き続けています。

Pellicule(不可思議/wonderboy)

 

ピアノの切ないリフレインと友に語りかける言葉の数々が、胸の奥を締め付けてくるような楽曲です。

生きることに迷った時、不可思議/wonderboyの言葉を浴びてみて欲しい。

人間臭くて、温かい「生」のエネルギーをきっと彼のリリックから貰えると思います。

 

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回紹介したアーティスト以外にも若くして亡くなったミュージシャンは沢山います。

音楽や芸術作品の素晴らしいところは作者が死んでも尚、誰かの心の中で作品は生き続けていくことだと思います。

本物のアーティストが、命をかけて残していった作品たちを、是非体感していただけたら嬉しいです。

ライター:kato

2020年よりフリーライターとして活動。 @kato1155ka

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