スーパーギタリスト達と渡り合った、最強ボーカリスト特集[記事公開日]2016年3月10日
[最終更新日]2016年03月10日
[ライター]森多 健司

saikyo-vocalist

数多いギタリストの中でも、ギターヒーローと呼ばれるロックギタリスト達と数々共演している、希有なシンガーたちを特集。中には共演というか、アクの強いギタリストと喧嘩してさんざんな目に遭っている人もいますが、今回はそんな中でも特に有名な7人を取り上げました。

オジー・オズボーン

オジー・オズボーン

主な共演ギタリスト:
トニー・アイオミ
ランディ・ローズ
ジェイク・E・リー
ザック・ワイルド
ガス・G

元々ブラック・サバスのいちボーカリストとして陽の目を見たオジーはソロ転向後、ヘヴィメタルのシンボル的存在になりました。共演ギタリストは錚々たる顔ぶれですが、誰もを非常に若い段階で発掘し育て上げているところは驚異的でさえあります。特にランディ・ローズを発見したときの数々の逸話はロック界の伝説となるほど。プレイヤーを見抜く目がずばぬけていたため、某雑誌にギタリスト発掘人と書かれていたこともありますが、まさに言い得て妙。

これで引退かと思われた後にも、ザック・ワイルドの後任として若手のガス・Gをメンバーに抜擢し、様々な事件事故を起こしながらも今なお現役で活動中。妻のシャロンはマネジメントを一手に引き受け、娘のケリーは父と同じくシンガーとなっています。その音楽性からは想像付きませんが、大のビートルズ狂としても有名です。

デヴィッド・カヴァーデイル

主な共演ギタリスト:
リッチー・ブラックモア
ジョン・サイクス
エイドリアン・ヴァンデンバーグ
ヴィヴィアン・キャンベル
ダグ・アルドリッヂ
ジミー・ペイジ

ディープ・パープルの名盤「Burn」における気合いの入ったボーカルで有名なこの人も色んなギタリストと渡り合っています。DEEP PURPLE時代を経たあとホワイトスネイクを結成しますが、ホワイトスネイクには多種多様なギタリストが出たり入ったりしているので、様々な顔ぶれが揃っており、一時期エイドリアン不調時スティーヴ・ヴァイがいたことも。バンド全盛期にバンドのサウンドを支えたレスポールの貴公子、ジョン・サイクスとは今でもあまり仲が良くないようです。

元々レッド・ツェッペリン的な音楽を志向していたこともあって、ジミー・ペイジとの「カヴァデール・ペイジ」は大きな話題を呼びました。現在でもホワイトスネイクはダグ・アルドリッヂとレブ・ビーチを迎え、精力的に活動中。

グラハム・ボネット

グラハム・ボネット

主な共演ギタリスト:
リッチー・ブラックモア
マイケル・シェンカー
イングヴェイ・マルムスティーン
スティーヴ・ヴァイ
クリス・インペリテリ

元々はソロで様々なジャンルをこなし、マルチな才能を持つパワフルなシンガーだったグラハムは、リッチー・ブラックモアの希望でアルバム「Down to Earth」にてレインボーへ加入。次のアルバムが出来上がる前にバンドを脱退し、その後マイケル・シェンカーの提案でMSGのアルバムに参加。これまた一枚で脱退し、アメリカでアルカトラスを結成。イングヴェイ、スティーヴ・ヴァイを世に送り出しました。その後にはさらにインペリテリにも加入しています。

個性の強いスーパーギタリストに揉みまくられた、運の悪い(?)ボーカリストでありながら、ロックギター界にはなくてはならない人物。ライヴでは服装が全身スーツにサングラスと、日本ではたまに故横山やすしと形容されます。現在ではオーストラリアで活動し、パワフルな歌唱はなお健在です。

Since You’ve Been Gone / Graham Bonnet & Yngwie Malmsteen

デヴィッド・リー・ロス

デヴィッド・リー・ロス

主な共演ギタリスト:
エディ・ヴァン・ヘイレン
スティーヴ・ヴァイ
ジェイソン・ベッカー

ヴァン・ヘイレンのフロントマンとしてカリスマを見せつけた名ボーカルは、バンド脱退後、自身のソロアルバム発表においてスティーヴ・ヴァイをアルカトラスより引き抜き、ビリー・シーン(B)とともに組ませ、最強のコンビを作り上げます。アルバム2枚を残しスティーヴ、ビリーが辞めた後、当時シュラプネルレーベルのいちギタリストであったジェイソン・ベッカーに白羽の矢を立て、メンバーに招聘。ジェイソンがそれまでのネオクラシカルなプレイから脱し、ブルース、ファンク調のスタイルで弾いたこの3rdアルバムは話題を呼びましたが、周知の通り彼はその後病気で脱退を余儀なくされます。

フロントマンとしてのステージングに優れただけでなく、マネジメントも上手だったらしく、ヴァン・ヘイレン初期の成功には必要不可欠なメンバーでした。現在ではヴァン・ヘイレンに戻り、往年を彷彿させるステージングを繰り広げています。また、なかなかの親日家らしく、2012年5月から半年ほど日本に住んでいたことも。上の欄には記していませんが、一時期ツアーメンバーとして同行したギタリスト、トシ引田の名前も日本人であれば覚えておきたいところです。

ドン・ドッケン

共演ギタリスト:
ジョージ・リンチ
レブ・ビーチ
ジョン・ノーラム
マイケル・シェンカー

自分の名を冠したドッケンのリーダーとしてバンドを率いた名ボーカル。ドッケンの活動では、アクの強いジョージ・リンチと共にバンドを大きな存在までのし上げましたが、そのジョージとの仲の悪さがこれまた有名。ドンは音楽的にはクラシックがベースにある人で、もともとギターも自分で演奏していたため、元来の性格の不一致に加えて、ギターを自分で弾けないためのフラストレーションのようなものが背後にあったのではと言われています。

ソロ活動に移ってからは、元ヨーロッパのジョン・ノーラムをギタリストとして抜擢。90年代以降のドッケン再結成ではジョージ・リンチに代わって、レブ・ビーチを迎え入れ「Erase the Slate」を制作しています。ジョージ・リンチと仲は現在では随分と軟化しているようで、2009年の幕張メッセでのイベントで共演を果たしています。2012年、マイケル・シェンカーとともにアルバムを制作しているという情報が突如飛び交い、現在、YouTubeにて数曲を聴くことができます。

ロニー・ジェイムス・ディオ

共演ギタリスト:
リッチー・ブラックモア
トニー・アイオミ
ヴィヴィアン・キャンベル
ダグ・アルドリッヂ

レインボーの黎明期から最盛期までを支えたスーパー・ボーカリストとして、ロック界でも歴史に残る活躍を見せたロニー・ジェイムス・ディオ。元々デビューは1962年というから驚きです。ディープ・パープルの前座などを経て、リッチー・ブラックモアに見いだされます。リッチーに従って加入したレインボーではコージー・パウエル(Dr)、ロジャー・グローヴァー(B)などと共に、そのパワフルな歌唱でバンドを全盛期に導きました。レインボー脱退後は、リードボーカルのオジー・オズボーンを欠いたブラック・サバスに加入。ブラック・サバスの後は自身の名を冠したバンド「DIO」で、自分の表現したい音楽を模索し続けました。ディオでは結成当初から、当時若手であったヴィヴィアン・キャンベルが作曲方面でも貢献しています。

85年、チャリティイベント「Hear ’n Aid」を主催。アフリカの飢餓救済を目的としたこのプロジェクトには僚友でもあったヴィヴィアンを含め、イングヴェイ、ジョージ・リンチ、ニール・ショーンなど多彩なプレイヤー達が参加しています。

そのパワフルでドラマティックな歌唱は、かねてより好んで聴いていたオペラから来ているという説もあり、仰々しい初期レインボーの作風には非常にマッチしていました。レインボーが徐々にポップな方向に行くのについて行けずに、早々に脱退したのは、むしろ当たり前の判断だったと言えるかもしれません。2010年、67歳で死去。現代のヘヴィメタルの礎を築いた人でもあり、方々から惜しむ声が挙がりました。

ジョー・リン・ターナー

ジョー・リン・ターナー

共演ギタリスト:
リッチー・ブラックモア
イングヴェイ・マルムスティーン
ジェフ・ワトソン

1951年生まれのイタリア系アメリカ人。元々、ツェッペリンやジミ・ヘンドリクスなどのブルースロック系音楽に影響を受けており、若かりし頃はファンダンゴというバンドに参加し、様々な有名アーティストともツアーを回っています。その後、リッチー・ブラックモアに誘われ、レインボーにグラハム・ボネットの後任として参加。3枚のアルバムを残したあと、レインボーは解散。ソロアルバム制作を経て、イングヴェイ・マルムスティーンの「Odyssey」に参加しますが、ライブアルバム含め2枚を残して脱退。その後は再結成ディープ・パープルへ参加し、再びブラックモアとの共演となります。ここでは「Slaves & Masters」の1枚を残し、オリジナル・メンバーのイアン・ギランと入れ替わるように脱退。

その後は、プログレッシブ・ロックのバンド、マザーズ・アーミーにて、元ナイト・レンジャーのジェフ・ワトソンや、カーマイン・アピスらと3枚のアルバムを制作。このバンドは今でも活動を続けているようです。

後期レインボーは初期の頃の仰々しいバロック音楽の影響から脱し、アメリカでの成功を視野に入れて、比較的ポップな曲を量産するようになっていました。また、イングヴェイはオデッセイでの楽曲について「ラジオでも掛かりそうなものを書こうと思っていた」と述べており、両者ともターナーのクセの無いパワフルな歌唱に、大衆受けする要素を見いだしていたのかもしれません。日本ではこの二つの活動が非常に有名なため、それを軸に語られがちな人ではありますが、90年代に入ってからもソロで精力的な活動を行っており、グレン・ヒューズとのヒューズ・ターナー・プロジェクトなどは最もよく知られるものの一つです。また、ギタリスト梶山章とアルバム1枚を残しており、これは発表当時たびたび取り上げられました。こちらも日本人としては忘れてはならないところでしょう。

Joe Lynn Turner- I surrender(Rainbow) @ Wacken 2015 Rock Meets Classic – Youtube

まとめ

さて、いかがだったでしょうか。ずらっと並べてみて、レインボー界隈のボーカルが脱退後も一定以上の活躍をしているのが目立ちます。リッチー・ブラックモアのボーカリストを見る目が卓越していた証でもあるでしょう。ロックバンドはギターとボーカルが喧嘩して、どちらかがいなくなるケースが多いですが、ここに挙げた人たちも、その例に漏れません。レインボーやヴァン・ヘイレン、イングヴェイ・バンドのようにギタリスト側が権力を持つケースと、ホワイトスネイクやドッケンのようにボーカルが主導権を握る場合で、メンバー模様もさまざま。おかげで色んなボーカルとギタリストの組み合わせを見ることができるのは、リスナーとしては楽しい経験ですね。

ライター:森多 健司

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